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「芭蕉翁月一夜十五句」のミステリー
「芭蕉翁月一夜十五句」のミステリー
著者
村瀬雅夫
販売価格
1,500円(税込1,650円)
購入数
商品説明
■サブタイトル/『おくのほそ道』最終路の謎
■体裁/A5判・94頁 ■ISBN/978‐4‐8170‐8185‐8
戦後間もない昭和34年(1959年)、岐阜で「荊口句帖」が発見されて、「芭蕉翁月一夜十五句」が初めて世に出た。当時は「六十年安保」の騒乱時代で、新聞でも大きなニュースにはならなかった。その中の一句「国々の八景更に気比の月」は全く伝えられず、初めて世に出た芭蕉の句だという。
「奥の細道」の帰途、敦賀まで芭蕉を出迎えた門人の露通は、終着の大垣まで馬の旅を共にし、そこで待ち受ける一門知人たちと合流した。その中の一人「荊口」の俳号をもつ大垣藩士宮崎太左衛門一家の句集がまとめられ、その序文に露通は「月一夜十五句」を書き写した。芭蕉が中秋の八月十五日頃に詠んでから、まだ一週間もたたない八月二十一日だった。
原本は和紙に書かれて折るか巻かれたためか、外側が擦り切れていたらしい。露通は「残り一句が切れて見えず」と記して、前書きとともに十四句を写した。原本はその後行方不明となったが、この記録のおかげで、十四句だけが後世へ伝えられることになった。もし露通が写し留めておらず、またこの句集が失われていれば、芭蕉の「月一夜十五句」の存在は永遠に知られなかったであろう。『おくのほそ道』の本文に「名月はつるがの湊にと旅立」と記された最終行程は、中秋観月の十五句独吟にいどみ、六か月に及ぶ旅の最後を締めくくる決意の旅でもあった。
著者はかつて福井県立美術館館長時代に、福井の「奥の細道」に関する古跡を訪ね歩いた。そのなかで「月一夜十五句」や「アリバイの無い最終行程」など謎めいた事項についての疑問が一挙に広がった。これはかつて事件記者だった嗅覚がよみがえったのかもしれないといい、なぜこの付近の記述には人名、地名など誤りが多いのか不思議でならないという。それには月見の旅に同行した「等栽」という人物が疑わしく、これは芭蕉が等栽の名を借りて擬人化したという推理をたてている。
本書はその推理を紹介しつつ、また日本画家でもある著者の月をテーマにした作品や、『奥の細道』「月一夜十五句」関連写真なども掲載するユニークな文芸読本。
●主な目次
はじめに/『おくのほそ道』原文(「汐越の松」から「種の浜」まで)/『荊口句帖』/「芭蕉翁月一夜十五句」の旅/村瀬雅夫画「芭蕉翁月一夜十五句」/「芭蕉翁色ヶ浜遊記」/「芭蕉翁月一夜十五句」のミステリー/あとがき
●むらせ・まさお
昭和14年(1939年)東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業。読売新聞社入社、文化部勤務。美術を担当。その後、明治大学講師、福井県立美術館館長などを経て、現在は松濤美術館館長。自らも日本画を描き、川端龍子青龍社展に出品。その後は横山操に師事して無所属。美術館館長、日本画家、美術評論など多彩な活動を行う。著作には『美の工房』『横山操』『川端龍子(現代日本の美術)』など多数がある。
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